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日本共産党埼玉県委員会で選挙関係の仕事をしています。1975年2月生まれ。家族は妻と1男1女。明治大学法学部を卒業。青年団体の県責任者、国会議員秘書、しんぶん赤旗記者を勤める。2012年の衆議院選挙で埼玉15区から立候補。若い世代が夢と希望のもてる日本の実現に引き続き全力をつくします。日々の活動や政治や社会への思い、家族や趣味のことをつづります。ツイッターは@kokkun36、フェイスブックもやっています。
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道路端に横倒しになったままの車や小型の船

12、13日で福島県南相馬市を
視察しました。


小高地区は、福島第一原発から
半径20キロ圏内で、いまだに昼
間の立ち入りのみが許される地
域となっています。
住民のほとんどが、市内の仮設
住宅や市外での避難生活を余儀
なくされています。
日本共産党は今も南相馬市に
ボランティアセンターを開設し、
全国からの支援物資やボラン
ティアの受け入れを続けていま
す。
私も父親の実家から提供して
もらった川島産のお米を60キ
ロを支援物資として届けました。



ボランティアセンター前にて


ボランティアセンターでは、仮
設住宅に暮らす住民から話を
聞きました。
いま、仮設住宅ではギリギリ
の生活のなか、住民同士の
感情的な対立もおこり、うつ
病になる人なども増えている
と話してくれました。
小高地区にある自宅がどん
どん荒れていくのを見るしか
ない状況について「まるで自
分の体が弱っていくようで本
当につらい」と訴ていました。
原発被害者のやるせない心
情を考えると、心に突き刺さ
るような苦しさを感じました。


小高地区の住民から話を聞く


ボランティアセンターの前の
国道から海岸に打ち寄せる
白い波が見えました。
聞けば、津波ですべての民
家や林が流されたため見え
るようになったとのことです。
あらためて津波のすさまじさ
を痛感しました。


送電用の鉄塔の先に波しぶきが


原発事故から1年8カ月あまりが
経ちましたが、現地は時間がの
まま止まったようにがれき処理が
まったく進んでいません。

小高地区と浪江町にまたがる
牧場を経営し、いまも牛を育て
東電に完全賠償をもとめてた
たかっている男性から話を聞く
ことができました。
牧場も見せてもらいましたが、
出荷できない牛を飼いつづける
牧場主の気持ちはいかばかりか
と胸がつまる気持ちになりまし
た。
牧場で同行者が地表面の放射線
量を測りましたが、3.72マ
イクロシーベルト毎時と見たこ
とのない値を示していました。







小高地区の中心商店街はすべ
ての店がシャッターを閉めたま
ま。人が誰もいない商店街のス
ピーカーから流れていた演歌が
物悲しさを一層際立てていました
。1年8カ月も政府・与党は何を
してきたのか!まず政治がやる
べきことは被災地の復興、とり
わけ原発事故の被害者への
完全賠償、原状回復、そして
生活と生業の再建ではないか
とつよい憤りを覚えました。
収束宣言以降、現地の状況も
なかなか報道さえなくなりました
が、一人でも多くの人に現状を
伝えなくてはいけないと思いまし
た。
商店街の道路脇の側溝は地表面
で1.2マクロシーベルト毎時
でした。








防波堤が破壊された海岸でみ
た二本松はすさまじい津波の
なかで生き残ったもので、復興
への希望のように思えました。



南相馬市役所では空間放射線
量が毎日示されています。
埼玉では除染が必要となる数値
よりも高いのが日常となっていま
す。
住民はどんな気持ちでいるのだ
ろうかととても気になりました。


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